安岡家住宅の射場

  安岡家住宅の絵図の東側に射場・矢道などが記載されています。その部分を抜き出したのが下です。
 絵図の左下に座敷部があり、朱色の部分が東側の溝として紹介箇所です。

  安岡広助の記録『弓術幼少之節父平八取立丹て文化四卯年加藤鍋右ェ門殿弟子ニ相成修行仕文化十三子年中伝相済候』とあり、広助が家督を相続した文化四年(1807年)頃には、この射場あったのではないだろうか。

 明治以降使用されなくなり、現在は木・草が伸びています。

的(アヅチ)側から見た射場。
写真の中心部分に見える白い四角が射場の位置。

太い木はタイワンフウ。


射場側から見た的(アヅチ)側。

ここで弓を打ちながら何を考えていたのでしょうか。

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