● 修復保存工事と山北生活  (片付など)  

・片付け
 人手が揃う2012年5月から道具蔵、米蔵などから片付け、親類の蔵などへの荷物移動を始めました。 二つの蔵、母屋に残されていた品物は色々ありました。
 こんなんものも出て来ました。

   2012年5月 撮影
 断捨離の心が乏しかったのか、もったいないの気持ちが強かったのか、本当に色々残されていました。五右衛門風呂は最高の断捨離施設です。焚口に入れるともう手元には戻りません。
 
         2012年3月26日 撮影
 片付け当初は朝から断捨離焚きで五右衛門風呂は湯加減の良い「温泉状態」でした。
 復元までお別れです。本当に色々のものを燃やしんました。

 粗大ごみで4回ほど出しましたが「もったいないの心」で捨てきれず、タンスは棹で移動しました。
 
    撮影2012年8月13日撮影
 タンスだけでなく、長持が米蔵、釜屋に放り出され、空の長持が残されていました。 長持を運ぶにはこの棹では短く、長持用の棹があったのだろう。

・高農チョッキ
 学生服用のチョッキが出てきました。

 上写真左がチョッキでその右が付いていたボタンです。「高農」とあります。盛岡高等農業高校です。明治40年頃に祖父が着たものです。祖父の思い出多い
盛岡高農の校舎を利用した農業教育資料館に寄贈しました。

・工事開始へ
 2012年7月文化財建造物保存協会(文建協)に設計監理を委託し修復保存工事が始まり、常駐事務所を前庭に建設しました。
 
 
                   2012年8月1日撮影


 
その後2013年1月に前の農地を期間限定で農地転用許可を受け、作業道路、作業小屋、事務棟を作りました。

       2013年3月2日 撮影


 2012年10月 岡山の新東住建が落札し工事に着手しました。
 工事業者が決まり、工事に邪魔となる木、今後建物保存に悪影響(乾燥の妨げなど)となる木をまず伐採しました。
 下の写真伐採前。


        2012年11月 撮影

 以下が伐採後の写真。すっきり道具蔵が見えるようになりました。
 
        2012年11月7日 撮影 
 
 大正、もしくは明治頃(その前か)から木が生い茂っていました。
 木は風を防ぐより、家(木、瓦)の乾燥するための環境整備(風通しなど)が建物には良いとのいことです。
 下は上の写真と同一方向から撮影(大正6年)です。この写真にあるように松が、初代がここに家を建てる前から松があり、家と共存していました。人を掛け家の手入れをしていたので長持ちしたのだろうか。

 
     1917(大正6)年8月 撮影
 上2枚写真の踏石は同じように残っています。
 また、同じよう右側に葉(ハラン)が生い茂っています。
 このハランは何故か取られることなく生い茂っていたのでしょうか。ハラン昭和には一枚幾らかで売れたようですが。奥に射場があった頃はハランはなかったから、今回取り除いてみました。
 取り除いた後、上からその付近を見るとこんな感じになります。


        2013年3月25日 撮影
 
これまで気が付かなかったのですが、溝が微妙に曲線を描いています。水を流すために作った溝ですから真っ直ぐな方が機能上良いと思います。それが曲っているのは、何かそのように作る事情(別建造物などのの回り込みなど)があったのではないでしょうか。また、木が2本溝から生えていました。
 写真手前のブルーシートの中には、再利用する荒壁の土を寝かしています。

 下の写真は西側の上段から撮影しています。手前右から米蔵、収穫を終えた柿の木、その奥に居間部分と道具蔵でその左が解体資材などを置く仮の小屋になります。

 
        2012年12月12日 撮影

 上写真右奥から竹が倒れこんでいます。この竹釜屋などを覆っており、米蔵仮設工事前に切り倒しました。
 
         2012年12月17日 撮影  上写真左が伐採前、右が伐採後
 
米蔵への仮設工事前に米蔵、釜屋に覆い被さる竹などを地主から了承を受け伐採しました。
 建物の手前が釜屋、奥が米蔵です。
 明治に作られた絵図にこの箇所について以下の記載があります。
 「外地屋鋪(敷)平地より高三尺
      外輪垣竹」
 竹垣でなく逆の垣竹の違いは分かりませんが、藪とは記載していませんまた。この場所には他の方の住居がありましたので、境界を含め整理された場所だったのでしょう。


・米蔵仮設と納屋
 
上段からの眺めも米蔵の仮設ができると見えなくなります。米蔵仮設建設途中で奥が見えます。

     2013年1月撮影
 米蔵の仮設が完成し南側から見たのが下の写真です。

     2013年1月 撮影
 
仮設が母屋に迫り、手前が窮屈になっています。
 昭和21年頃まで母屋に接近して納屋がありました。下の写真です。
 写真右奥に蔵の東寄りの窓が見えますので、上の写真の階段の左側まで納屋があったことになります。
 建物が並び狭い感じがします。 庭で焚火を楽しむことは出来ない環境です。上の写真より少し広いですが、開放感がありません。


     昭和21年頃  撮影
 この納屋は母屋(土間)の西側にあるので昼を過ぎると陽が当たらず、雨の日は屋根からの滴り落ち(写真を見ると雨樋なし)で、前は土がぬかるんだのでしょう。仮設が建ち、それを少し実感しました。 納屋建立時期は不明ですが、遅くとも江戸末期から昭和までこの状態が続いていたのでしょう。



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                                ● 安岡家住宅<重要文化財>先頭