・絵図<新の発見>           20211222 新規
 
  明治18年頃、別役家から養子にきた又彦が、家の改築に当たり作成した安岡の家全体を示す図面を絵図と呼んでいます。


 この絵図は作成時期から藩政時代の建物状況を示しているので、重要文化財の一部として指定されています これを昭和六十年前半に活字化され、それを色々な場面で紹介しています。
 この図面には又彦が改築計画も書き込まれています。その内容が、復原修理工事での建物の改造、試掘調査などで判明しています。絵図にあるが又彦が作った建造物に次のがあります。
  ・家の南側の塀 板塀から漆喰(ネリ)塀への改造
  ・家の東側の塀の新設
  ・西の井戸
  ・居室部土間のカマド
  ・西門(絵図にも記載されていない)
  ・座敷庭の整備(庭石が描かれている)
  ・座敷の式台付玄関
  その他
 また、絵図にあるが取り壊した建造物もあります。
  ・長屋(番屋に接続した建物)
  ・射場

・絵図の疑問
 絵図に書かれた建物は今回の解体で、実際の建物と大きな違いはありませんでしたが、何か奇妙・間違っているのではと思っている箇所がありました。その建物は射場です。

             
 射場は弓術で矢を放つ場所で、矢が飛ぶ場所を矢場、的の場所をアヅチと絵図に書かれています。絵図に書かれた射場を見て疑問に思った。石橋の下に溝があるので入口が溝に接して過ぎている。絵図には「朱色引処溝」とあるが、朱色が褪せ、絵図に見えません。
 それで朱色見えないかと調査して貰った。その調査結果、結果に基づく検討経緯、判明したことをPDF弓場と溝まとめましたので参照してください。
 調査・検討結果を工事竣工後の弓場写真に書きこむと次のようになります。
 

 家の表及び座敷の庭は明治に現在の構えに整えられたのです。

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