今回は写真屋で写したのでなく、外で撮影した写真です。
 
● 家族写真
  最初に紹介するのは、出版物などに掲載開された写真です。
  次は大正6年の家族写真です。


  撮影場所は座敷部の庭の東側です。写真左奥に見える建物は、明治中期に西門附近から移築されたものです。撮影は大正6年8月17日で秀彦の日記に次のように記載されています。これを読むと「さぁ~集って」から写された感じがします

八月十六日 木曜日 天氣  寒暖

一日内ニテ暮ス

赤岡寫眞屋来リ寫眞ヲ寫スコトヲ約セリ


八月十七日 金曜日 天氣  寒暖

朝寫眞屋来リ寫眞ヲ家内一同ニテ寫ス

<以下略>

 撮影の理由は上日記には記載されていませんが、秀彦の母房(写真中央で孫を抱えている)が息子3人、長男秀彦:後列中央、前年末に結婚した次男豊彦:後列右側(その前が奥さん)が高知市から、三男章:後列左側が東京から戻り、揃った記念に写真撮影を言い出したのではないでしょうか。
 後列、中央が祖父はこの写真では細身です。昭和の写真を見ると、太ってます。この頃の写真からは考えられません。
 背後の松の木は1970年前半に枯れますが、2019年の修理工事でその根が朽ちることなく掘り出されました。下の写真と比較すると分りますが、踏み石はそのまま残っています。大正に撮影した写真の左に見えた建物は、下の写真では見えません。大正の記念撮影して2年後に身重の妻を残して亡くなります。不憫に思った兄の秀彦がこの建物移築などで新家を作りました。
 2005年10月1日撮影
 
 次が、それから十数年後の昭和4年の頃の前庭の集合写真です。番屋は復原しましたが、歴史を持った樹々は復原できません。木の脇に立っているのが房です。その左の学生服がが房の膝に抱かれていた孫です。
 
 復原した番屋の写真(20111116撮影)

 写真屋が撮影したと思われる写真を、近況として送られたのか残っています。裏書がないのでその人とどのような関係か不明ですが、写真を送った人と近しかったと思います。
 個人写真でなく家族写真もあります。下の写真は東京青山の写真屋が撮影しています。裏書がないので断定は出来ないですが、寺田寅彦の再々婚の頃の写真ではないでしょうか。


● スナップ写真
 どうもこれまでの写真はカメラ目線を気にしていますが、次の写真が見た時これは!
と驚きました。映画の1シーンにみえます。
 女性が野で宴会をして、右に男一人がが飲んでいる!花見でもないようですし、気持ちの良い草原でもないし、何の宴でしょうか?敷かれたゴザもそれ程立派なものでなく、料理は中央にサバの姿寿司が見えますが、数多く並んでいません。が、手前の女性は髪を整え、着物、帯の締めからも正装に近いように見えます。

 先祖祭りのシーンと推定されます。
 男だけのもあります。

 こちらは、一人がラッパ呑み、一人が酌を受け、子供が望遠で何かを見ています。酌を受けている男性の帽子、前の写真の男性の帽子に似ています。背景の山から、浅上王子宮の背後にある先祖霊の社と推測します。
 大正9年8月の秀彦の日記に「先祖祭ニテ行ケリ」の記載があり、上の写真はいずれもその時の撮影と推定します。

  

                   ● 安岡家にあった文書index

                   ● 安岡の家住宅<重要文化財>先頭


● 古い写真から_2

改訂2019年10月15日