●文書番号18の手書きノート(ロ)の目次
・その1
肥後有志建白魚住より差出
■■無識之私共國家之大事■■
・その2
藤堂侯幕府江建白之寫
先年より愚存之趣申上候儀ニ有之候処、天下之形勢累卵之場ニ
相成候得は、此上之御所置@毫髪も御謬誤被為在候時は、被対
・その3
勅書寫
朕惟分今時勢夷戎恣猖獗幕吏失措置天下騒■■
民欲墜塗炭
朕深憂之仰耻
・その四
庭雀■語
封建の治体了■して土崩■患害乎救ふへき哀
■数百年の間諸侯其封域を守り其士子教へ其
<目次ここまで>
『西郷建白書』は西郷が、薩摩に戻ったあと大久保などの説得で東京に戻った時に作成した建白書の写しであり、『肥後有志建白魚住より差出』は維新前に出された建白書の写しです。
維新前に出された建白書の写しが、本資料を作成した明治初期に残っていたのか、また西郷の建白書をどのように手に入れたのか(情報の伝達の早さ)、驚きます。
明治に入りこれらの維新前の勅書、建白書などを何故写したのか。
西郷建白書の写しがあることから、守旧派であった安岡権馬正徳の関連と思われます。
<2010年3月追記>
安岡章太郎の流離譚を読むと安岡権馬が「国許へ建白書を送る」の記述があります。これについて詳細(クリック)を別の示します。
紹介した建白書(写し)が、権馬が国許へ送った物であれば、西郷建白書を明治になって書き足したことになります。
以下に、表紙、細字の写し、『西郷建白書』及び『肥後有志建白魚住より差出』一部を紹介します。
先頭のページ(細字の写し) 表紙
←西郷建白書 ↓
←肥後有志建白書魚住より差出↓
筑前より建白↓ その2の先頭↓
これら資料の写真版ですが、連絡頂ければお送りします。
前述目次の資料(イ)のその1、2(先頭部分)の翻刻を建白書(一部)で(PDFを左クリック)紹介します。
● 建白書の写し
追加 2010年3月31日