年次 出来事
宝暦二 1752 お下家初代覚兵衛正元誕生
明和一 1764 平八正久妻(覚兵衛正元母)死亡
明和八 1771 覚兵衛正元四坊池の上に住み始める
安永九 1780 覚兵衛正元は西琢蔵の姉を嫁とする
天明一 1781 本家平八正信の男子広助誕生
天明一 1781 本家平八正久(覚兵衛正元父)死亡
天明一 1781 覚兵衛正元の女子(長女)誕生
覚兵衛正元の男子(長男)誕生・早世
覚兵衛正元の女子(次女)誕生・早世
天明九 1789 覚兵衛正元の女子(三女)誕生
覚兵衛正元の女子(四女)誕生・早世
寛政九 1799 覚兵衛正元の男子(次男)辻松誕生
文化二 1805 覚兵衛正元の男子(次男)辻松死亡
文化二 1805 覚兵衛正元の三女に広助養子(年次推定)
文化四 1807 お下家初代覚兵衛正元死亡
広助長女誕生<覚兵衛死亡時期との前後不明>・早世
文化六 1809 広助郷士・領地を譲受
文化七 1810 広助次女誕生
文化八 1811 広助宅奉行所御見廻り止宿
文化九 1812 広助藩主豊資お目見え
文化十 1813 広助長男源右衛門誕生
文化十 1817 平八正久妻(本家)死亡
文政一 1818 広助次男文助誕生
文政二 1819 藩豊資本家、家老福岡孫左衛門広助宅止宿
広助三男勘十郎誕生→<公文家へ>
広助四男隆蔵誕生→<傍士家へ>
文政七 1824 覚兵衛正元妻死亡
文政九 1826 広助の兄本家平四郎、平四郎三男、三女死亡
広助五男俊蔵誕生→<別役家へ>
文政十一 1828 表座敷障子框に墨書(漆枠障子の作成)
天保五 1834 文助(お西)譲受郷士
天保六 1835 源右衛門の長男恒之進、
文助の長男覚之助誕生
天保七 1836 文助の次男嘉助誕生
天保十 1839 源右衛門の次男権馬誕生
天保十 1841 廣助正雄死亡
天保十 1842 源右衛門の三男覚馬誕生
弘化一 1844 源右衛門正方死亡
恒之進十歳で家督を引き継ぐ
弘化四 1847 文助の三男道太郎誕生
嘉永五 1852 恒之進長女馬子誕生
文久元 1861 恒之進次女房誕生
文久二 1862 恒之進大阪で病死
元治一 1864 嘉助京都で処刑
慶應一 1865 覚之助山田町獄に投獄
慶應二 1866 覚馬死亡
慶應四 1868 覚之助会津で戦死
明治十 1877 お下に男子麟太郎→明治十五年死亡
明治十八 1885 房・又彦と再婚、長男誕生
明治
三十三
1900 又彦死亡三十五歳
<続き 未定>       戻り   年表補足へ