釜屋の基礎工事・柱組立工事を紹介します。
 
         撮影  2017年10月
 試掘の穴を埋め礎石を並べます。
 他の建物と同じように鉄筋コンクリートで高さ調整し礎石を置きます。
 
         撮影  2017年11月
 釜屋は半崩壊状態で、棟、梁の腐りが激しいです。古材を極力残すため、他の建物では余り見掛けない繕いをしています。次の二つに折れた梁も繕いました。
 
         撮影 2013年2月
その一つが①柱空洞化→②中埋め→
 
 そして③フタをする。すると一見古材の再利用となります。
 
 
 これを取り付けたのがこれです。
 
         撮影 2018年10月
 他の建物では三和土(タタキ)で整地した後に柱の調整をしますが、整地前に行いました。
 
         撮影 2017年12月
 カマドの作り込み後、三和土整地を行うのでこのような順番になったようです。
 柱、小屋組、竹小舞も1月に終わりました。

       撮影 2018年1月27日 撮影
 上の写真奥の軒先棟の上に竹を立てています。
 ここは次のような切込みがあります。

       撮影 2018年1月27日 撮影
 以前も紹介しましたが、ここに竹を縛り茅を縛った、茅葺の痕跡です。
 前の写真で手前の部分にはそのような痕跡が見られず、竹が立っていません。こちら側は増築された味噌納屋で、当初から瓦葺きだったのです。
 柱を極力見せる主屋、柱を壁に埋め込む蔵と、釜屋の壁の塗り方はそれらと違います。構造計算で壁の厚さは決められていて、左官屋さんもそれに従い塗ります。内側からは角の柱が細く見えます。壁は土に粘り気があるので砂を少し混ぜた土壁です。釜屋の内側はこれで仕上がりです。

      撮影 2018年3月24日
 外から見るとこんな感じです。

      撮影 2018年3月24日
 上写真右側に煙抜ける窓があります。ここの格子に少し洒落を込めて古色塗が行われています。

      撮影 2018年1月29日
 煙が上に抜けるので下は白く、上は黒いと建立当初を想定した塗です。

 こちら側の壁は崩れ落ちて実際の状況は不明ですが、試掘すると漆喰の欠片が残っており漆喰壁としました。

          撮影 20180828
 北面、東面の壁は漆喰壁にしました。西面はどうであったか。
 次は釜屋解体前に北西側から見た釜屋です。

          撮影 20121217    
 上写真右側の白い屋根(トタン屋根)が釜屋で、その左手の屋根は五右衛門風呂の薪置場でした。解体時の調査で、ここは住宅内で白アリの密度が宅地内で一番高い場所でした。薪は地面に直接置いてはいけないの教訓です。薪置場の右手に茶色土壁が見えます。この右奥は味噌納屋なので北面と同じ漆喰と想定し漆喰にしました。

          撮影 20181007
 
 屋根板はボロボロでした。

          撮影 20180226
 垂木は北側(下写真の左側)は崩壊したので全て新材、南側はこの古材でも一部は繕い再利用しています。その上の天井板は主屋と同じく松板です。

      撮影 2018年2月28日
 上は真っ白な板です。

      撮影 2018年3月29日
 裏側は古色塗で梁などの色に合わせています。上写真で赤く見える箇所は松脂の多い箇所で透けて赤く見えます。瓦が葺かれると見えなくなります。
 釜屋の屋根にはヨシを敷いた痕跡がないので、天井板にルーフィングを敷いて桟瓦を葺く桟を置いて瓦を瓦土で高さ調整し銅線で留めます。

      撮影 2018年4月24日
 当然、釜屋でも、高知独特の漆喰が黒い瓦屋根を飾ります。

      撮影 2018年5月31日
 京都の屋根本瓦葺きであるからか、黒だけの屋根は今回の工事を見ると違和感を覚えます。それと京都の街中の軒瓦が模様がなく寂しい高知の屋根瓦にはどのような模様があり、どこの屋号が刻まれているか、見る楽しみがあります。
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● 釜屋 基礎・大工・左官工事   20181014 訂正追加