米蔵の屋根・壁の解体工事

⑤漆喰

   ④         ③   ②    ①    竹小舞

                            下に壁板

 米蔵修理保存工事では米蔵の解体工事をトッピクス的に紹介しましたが、このページでは米蔵の屋根から壁の解体を時系列的に紹介します。一部写真などの重複があります。
① 瓦の清掃
 写真の米蔵の瓦は屋根上に出た草、枯葉を片付けていますので綺麗に見えます。
 が、瓦は経年劣化しています。瓦の下部瓦(下写真の左下)の下土が落ちて安定感を欠いてます。軒先から飛び出して波打っています。


 上側写真の左奥(矢印の元)に瓦が剥げた箇所が見えますが、そこが下側の写真(矢印の先)です。瓦の下地確認の為先行的に瓦を剥がした箇所です。瓦、下土、ヨシズ(竹で抑えている)、野地板の階層が見えます。
 下部は修繕した跡で、手抜きかヨシズなしとなっています。


② 瓦の撤去
 瓦撤去すると土の屋根となります。

 下部(写真左下)の白いのは雨漏り塞ぎで、瓦の上から入れた漆喰の様です。屋根土の上と下側で色が違います。これは修繕で使用した土の違いによる差です。

③ 瓦下部の撤去
 土、ヨシズ、野地板を取り除くと整列した棟、梁が出てきます。

 何年(200年?これから調査で決定)振りに陽を見たのでしょうか。その感想聞いてみたい。これからの調査でその話が聞こえることを期待。


④ 棟・梁の撤去
 棟、梁を取り除くと漆喰の箱となります。

 手前は壁土の事前調査で削り採った箇所です。
 この撤去作業で面白いものが見付かり(20130304)ました。これです。

 卵です。
 親鳥が梁の下にどうやって入り込んで生んだのでしょうか? 暖めたのでしょうか?

⑤ 漆喰の撤去
 漆喰を剥ぎ取ると土壁の箱になります。

 漆喰は再利用不可(廃棄物)の為、土は漆喰を混ぜないように剥ぎ取り再利用します。

 古い土を混ぜる方が壁土に粘りが出るようです。現在、漆喰は費用を出して廃棄物として処理が必要なようです。家の周りに廃棄された多量な漆喰を見掛けません。もしかすると、昔は漆喰を何か再利用があったのか。それとも漆喰が多量に出るほどの修繕工事はなかったのだろうか。

⑥ 壁の階層
 蔵の壁土は漆喰を入れ五層となっています。

 土壁はヒビの入り方などから塗りの層を識別していました。最下層は手で押し込んでいますので、職人の指紋が残っています。土壁の下に竹小舞と呼ばれる竹が編まれています。番屋などは割竹でしたが、藏は壁が厚いので太い丸竹を使用しています。

⑦ 竹小舞
 土壁を取り除くと竹小舞が表に出てきます。

  手で竹を編みこんだ職人の手際よさが見える様です。竹を荒縄(番屋は棕櫚縄)で編んでいます。

 この荒縄の末端の処理がいい加減(整えていない)様に見えますが、壁土が絡み易いようにした細工と聞きました。
米蔵の竹小舞は角を回しています。道具蔵にはなかった作りです。

 どのように復原(同一資材再利用、再作成など)するかはこれから決まるのでしょう。明和?文化?時代と平成時代の職人技の混合となるのでしょうか。

⑧ 竹小舞取外し
竹小舞も取り除くとすっきりした木の箱になります。

 屋根の上に荒縄を巻いた竹が留めてあります。

⑨ 間渡(まわたし)
 

 竹小舞を組む横軸となる竹を間渡と呼びます。間渡は柱に穴を開け差込ます。上の写真で丸い横棒が見えます。これが間渡しです。以下が拡大写真です。
 蔵壁は厚いので竹が太く柱を建てる時に一緒に組み入れる必要があります。移築と思われる道具蔵、米蔵などで何故か、間渡用の穴位置間違いで水平でなく斜めに差込まれた間渡などがありました。道具蔵には柱を建てた後に間渡穴の忘れに気が付いたのでしょう。斜め上から差し込む仕口もありました。
青い線が間渡の位置。斜め矢印が上から差し込んだ仕口

⑩ 軸組のみになる
 化粧板等を取り除くと柱、棟などの軸組、間渡のみが残ります。

 
⑪ 軸部の解体(棟取外し)
 中心の棟木を取り外します。

 上写真の左側中央の柱から出て来たのが、

上の墨書です。道具蔵からはこの様な墨書が出てきていません。
            山北村 大工
                   利八
           新宮村  ■■
         卯
          九月十一日 ■■

⑫ 解体で思ったこと
 窓に使用されている金網、鉄棒を除き、
解体した資材は木、土、竹、ワラ、ヨシズ、石灰など家の周囲にある材料を原料としていました。
 金属系は地産か、流通か、いずれか200年(以上?)前の山北(名前も200年前からも同じ山北と呼ぶ?)の社会を見たいものです。
 豊富な植生の利用、地震への対処策などの建築技術蓄積、そこから日本の美しい建物が出来あがってきたのではないでしょうか。
 
 下写真はヨーロッパの豪雪地域の16世紀頃に建築された住居、家畜小屋です。

 左が住居で、右手前が豚小屋との説明がありました。住居はまだ住んでいるようで基礎はコンクリートに変わっています。手前の小屋は豚小屋の柱、ネズミ返しの丸い平石その上に建物が乗っています。
 下写真は別の解体中の建物ですが、この上に野地板と平石の屋根になります。



 地震がないので出来る『芸当』でしょうか。

 丸太と石だけでシンプルで良いですが、蔵の構造を見ると何となく味気なさを感じます。


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