主屋の解体で発見した墨書(その1)         2014年6月30日 更新       


・ 墨書、札の発見
 2013年12月座敷などから墨書及び札が出て来ました。
 座敷の次間の床の間天井に墨書、座敷地袋の天井に又彦記入の札、母屋表玄関のマグサ上に
安政七年の札がありました。
 座敷の墨書及び札は以下の場所から発見されました。
 


・ 座敷の墨書
 床の間の天井
 
座敷部の床の間の天井から墨書は次の青四角枠内の板に書かれていました。
  
 右上に解読「文化七年八月十八日 出来 奉納武運長・・大工 和喰西分村 田村◯」
 取り外し後再確認が行われる予定ですが、この墨書で興味を引かれる点があります。
その1 文化七年
 廣助が文化六年に譲受郷士になっていますので、郷士となり規制をクリアして建築した
座敷でした。
その2 大工 和喰西分村 田村○
 大工の名の田村、苗字とするとこれまでの墨書などで見たことがありません。
 西分村は合併し芸西村となっています。西分村に興味を持ち尋ねてみました。
くろしお鉄道の駅「西分」から北側に向かうと、開けた豊かそうな土地がありました。
後から調べると神社仏閣が多くあったようで腕の良い大工が育ったのでしょう。
また、回船も多かったようで、それで良い大工もいたのかも知れません。
 まだ、西分村の大工 田村さんに行き着いていません。情報あればお寄せ下さい。


・ 座敷の墨書 格子
 座敷部の格子は南側と東側にあります。
 
 この格子を取外すと(2014年4月)に前項と同様な墨書が出てきました。
 

 記載内容は次の通りです。
   □ □ □     文 化七年 午極月三日 出来    土州安喜郡和食西分住人 大工 田村亀作  
 *先頭の三文字解読出来ず。
 床の間の天井には八月でしたが、格子には極月(12月)ですので、壁(紙壁)などの内装に4ヶ月間掛
かっています。長いのか短いのか?



・ 座敷の札
 座敷の札は2枚ありました。
 

 札はオモテ(表)は空気に曝されていたので風化していますが、ウラ(裏)天井板に伏せられていたので表面が風化していません。表の左側の記載、薄く不明点があります(今後加筆あり)。右側の明治二十二年三月三日は明治憲法発布の時期に近く、発布を記念して描かれた軸が描かれた時期(明治22年2月18日)に時期的に近いです。
 又彦が何を思い願ったもう少し検討が必要です。

・ 表玄関の札

 表玄関のマグサの上に安政七年と記載された札が出て来ました。
マグサとは窓や出入り口など、開口部のすぐ上に取り付けられた横材のことです。

 この札には次の記載があります。安政は3月に迄ですので、年号切り替わり目作られています。地蔵尊は近くの今もある金水寺のことでしょうか。恒之進の時代で、安政地震などが続き、江戸で世情不安を見た恒之進が願いを掛けてのでしょうか。
  

 この札はマグサの上にあったのですが、これ(2013年3月)まで気が付きませんでした。
 手前に刃先無しの槍があり、隠されていました。
  
 その槍を家内の片付けで取り除くと横に置かれていた札が見えて来ました。

 この槍置き丸釘で付けてありますので、近世に設置され邪魔であった札を後ろに置いたと推測されます。
 そうすると、この札、表玄関に安政七年から置かれていたことになります。

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