● 主屋居室部の移築<譲受郷士も関連>
2015年4月7日 新規
主屋 居室部の礎石に書かれた二つの番付、柱設置を示す二つのクロス線(礎石項参照)から移築が推定されます。古材の仕口(二つの木材を接合するために切り刻んだ枘(ほぞ))には、移築後別場所に転用した材もあるとのことです。
下の主屋居室部はどこから移築されたのでしょうか。
移築は建物にあった墨書から文化五年で、居室部にトコがあることから、ある程度格式のある家と推定されます。
二つの建物、居室部と座敷部の建立時期は、建物から出て来た墨書から文化五年と文化七年とされています。二年の差がありますが、建物解体で資材に残されていたホゾ(資材の切り込み)から居室部建立時に座敷部の建設を計画していたのではないかとの推測があります。
復元工事で復原図面を紹介しましたが、前述の居室部のトコと座敷部との接続部分を以下に抜き出しました。
座敷部の柱など取り除いた後、南側から見ると、前の写真の右側の角の部分です。
座敷部建設には郷士レベルの格式が必要ですが、山北のお下の二代目廣助が郷士格を獲得し届けたのは文化六年ですので、少なくとも一年前に郷士格の獲得、そして座敷部建設を計画していたことになります。
前述の疑問の解決には初代覺兵衛正元が絡んでいると推測します。
廣助が郷士職を譲り受けたのは前田の安岡弥十郎からです。居室の建物と領知を買い取ったと推定しました。弥十郎から家の買い取りの推測を裏付けるように以下の調査結果が出ました。
資材の放射性炭素年代測定によると、資材は文化五年(1808)から二十年前に伐採されたとのことです。弥十郎の孫利弥太が提出した郷士年譜によると弥太郎が父の郷士職を相続したのが宝暦十年(1760)です。その後、隣村の山南から山北の前田に移住しています。山北への移住時期を示す資料はないですが、文化五年から二十年前1788(天明八)年とすると放射性炭素年代測定と合います。
また、弥十郎は山南の鶉戸に領知を持っていましたが、それを売り渡したようで、文化六年に廣助と小作人の間で新たな契約(宛口の取り交わし)ています。
* アタリと土地貸し 上の資料は「御領知宛り始末/山南村鶉戸/一宛・・」とあります。鶉戸の弥十郎の領知が廣助に所有が、移りその借用に関連する始末書です。この宛を「あて」と読みますが、高知に土地を貸すことを「アテル」「アタル」の方言があります。これと資料の「宛」との関連が気になります。他ではどのように呼ぶのかご存知であれば教えて下さい。
弥十郎が郷士として山北に移住し建てた家、領知、そして郷士職を、病となり譲り渡したと推測できます。
移築・建立した翌年の文化六年に郷士を譲り受けを届けたのでしょう。
前田の安岡はその後、郷士年譜にあるように地下浪人となりますが、弥十郎の孫の弥太郎の代に小川鉄之助から郷士を譲り受け再度郷士となります。この小川は安岡平八正信(お下創設覺兵衛兄)の嫁の実家、または娘の嫁ぎ先関連の小川で安藝郡の縁者かも知れません。郷士を外に出さないように、相撲の年寄り株一門で囲むように、親類縁者で囲い込んでいたように見受けられます。この前田の安岡ですが、山北を離れ大阪に居住していましたが昭和時代まで安岡の先祖祭りに参加しています。そして、山北での家を安岡の先祖祭りの長老に聞くと、四坊の安岡の家に近く、石垣が今も残っています。
郷士格の建物と郷士譲受
ここで不思議があります。
何故、お下は郷士になっていない文化五年に郷士格の家を移築(建てる)ことが出来たのでしょうか。文化五年の墨書は上の太い梁の栓にありました。墨書に月の記載がないので、不確かですが、文化四年頃から移築話が進んでいたのではないでしょうか。お下初代の覺兵衛正元が墓標から文化四丁卯年四月十三日に亡くなっています。覺兵衛が亡くなりその後、廣助が弥十郎との話を進めたのでしょうか。その前に覺兵衛が進めたのでしょうか。
百人郷士とか郷士募集などを聞きますので、郷士格獲得(譲り受け)は役所の許可制と思っていたのですが、そうではなく届出制であったように思います。譲り受けと呼ぶので価格があるように思っていましたが、郷士職に価格があるのでなく、郷士譲り受けと同時に譲り受ける領知などの費用の支払いと思います。
何故、郷士などを譲り受けるのでしょうか。郷士は土地開墾所有の特権があるので、その権利獲得のため郷士になるように思います。藩(役所)は農民個別から年貢を集めるより土地を集約し、郷士から一括して年貢を収めさせた方が利便性が上がるので、土地集約する郷士制度を利用したのではないでしょうか。さらに、色々の夫役(藩の仕事)に刈りだすことも出来、また武士の參勤交代などの仕事を手伝わせたように思うのですが如何でしょうか。
前述の郷士譲受のことなどは家に残った資料のみに基づく推論で、確かな裏付けはさらに必要と思っています。
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