● 主屋修理 復原設計

 主屋の解体結果などの調査結果、主屋の居室部は文化5年建立、座敷部は文化7年建立と判明しました。その連結部は、文化7年の座敷部に合わせて復原することとになりました。その復原 図面を以下に示します。


 明治に作られた家の絵図(活字化)から主屋部分を抽出した図面を以下に示します。
 
 
色々な痕跡から建物建立時期の建物を推定し復原しています。
 建立後追加した箇所と思われる箇所は、二つの図で異なっている点があります。
 異なっている箇所をいくつか次に示します。
 @土間にクドの有無←図に示される箇所に焼土の痕跡がなく場所が特定されない
 A居室部に接続した雪隠・湯殿の有無←外設備だったか。
  座敷部の雪隠・湯殿は弘化年代の追加
 B中庭などの居室・座敷部連結部の違い←弘化年代の六畳など追加による改修
 C居室部のトコの有無←居室部の移築元(発見 居室部建立 参照)にあり引き継ぐ
  *座敷部にもトコがありますが、この床框は現在漆が塗られています。
   この工事は文政11年に行われています。座敷部の床は漆塗りを継続します。
   居室部のトコは薄漆で座敷部と異なる塗りとします。
 D雨垂排水設備←樋が落ち葉などで詰まるので、復元工事では樋なしとします。
  復原ではないですが、雨垂位置に排水設備を設けることにしています。
 E上の図で板橋で(東の蔵)連結←復原ではその痕跡なく連結無しとます。
 F仏壇の大きさが復原で小さくなる←時代が永くなり位牌が増えた
  *柱に残った開き戸の痕跡からそれに復原します。
    残っていた仏壇には隣の押入まで襖が柱を抜ける切込みを作っていました。

     下写真は仏壇と押入の間で襖を止めています。

 
復原絵図にあった小さな仏壇が左。
 明治の絵図では左と右が連結して仏壇とありました。

                         ● 主屋修理保存工事 先頭
                             
                         ● 修理保存工事状況 先頭

                         ● 安岡家住宅<重要文化財>先頭