絵図には西門はなく、西の塀も「竹カキ」とあります。明治の中期に番屋の西側の池を埋め、番屋に続いていた長屋を取り除き西門を作り、米蔵に続く動線(写真)を作り塀も整えました。
撮影 2019年7月31日
藩政時代は上の写真の1/3の道幅はあったと思われます。塀も板で下の写真のような瓦葺き(写真)と推測されます。
撮影 昭和15年頃
上の写真の左に木の塀と瓦が葺かれているのか見えます。板塀に台座はなく、簡易なものです。門の棟梁は番屋と連結していました(写真)。
撮影 1945年頃
上写真右が番屋でその左側で連結しているのが西門の棟です。この門及び塀は1970年頃に撤去され本門として使われていた旧中門を西門としまた。
撮影 2008年4月18日
上の写真の様に塀はトタン葺き、台座を設置していました。
礎石に立てる門の柱は礎石に組み込んだ金属に差し込みます。
撮影 2019年9月23日
礎石脇の黒いホースには火災報知用等の電源、通報線が入っています。前庭の電柱、番屋内の報知器に引き込まれます。
撮影 2019年9月23日
明治に作られた番屋のホゾ(接続部)に門の棟を差し込みます(写真)。
文政十三年の番屋と令和元年の門の結合です。
撮影 2019年9月23日
以前の塀では台座に石垣に材を合わせる光処理をしていません。今回は光処理を施しました。東の塀でも光処理を行っていましたが、東の石垣は切込接のためか凸凹が少なかったですが、西の石垣は野面積のためか凸凹が激しく、光処理を施した材はまるでゴジラのシッポです(写真)。
撮影 2019年9月25日
これを乗せ、柱を立て、貫を入れます(写真)。
撮影 2019年10月5日
塀板と支えを取り付けます。
撮影 2019年10月5日
瓦板を置き、瓦を葺く。
撮影 2019年10月24日
瓦に紐漆喰を塗る。西の塀を南西から見る。
撮影 2019年11月27日
扉は開戸で戸に潜戸を設けています。
撮影 2019年12月19日
この西門は明治になり作られました。西門を造るため、池際の石垣を上写真の左に寄せました。正面の石垣はそのまま残しました。それが、今回の工事で見ることが出来ました。
撮影 2019年10月26日
右が番屋の土台に接触しています。
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