● 漆喰塀修理工事             新規 2019年4月14日

○ 絵図と実際の塀
 安岡の家住宅の南側全面に漆喰の白い塀が見えます。これは本門脇から南前面そして御成門から溝の石垣の上、さらに東西の塀に続き、周り込んで南北の木製の塀があります。絵図にはこの木製の塀の箇所も「子リヘイ」とあります。このように実際と異なる内容が明治に書かれた絵図にはあります。本門に木製の塀を支えたホゾがあり、本門の脇も木製の塀だったようです。
 
          撮影 20190131
 推測するに、漆喰の塀の建設は郷士には認められていなかったので、明治維新で規制がなくなり曾祖父又彦が反動で漆喰(練り:子リ)塀を建設しようと思い、死後も妻房が続けて出来た漆喰塀だった。

 塀解体する前、白漆喰の塀ではなく少し、黒ずんでいた。古くなったためと思っていたが、解体すると昭和に建立箇所と別に当初材にも黒漆喰の痕跡が見えた。そのように古写真を見直すと黒漆喰の証拠が残っていた。
 
        撮影 1938年6月
 塀の瓦の下帯状に白く、その下一面薄黒くなっている。
 もう一つの古写真にも残っています。
 
         撮影 1941年1月
 本門の前での集合写真で、右の塀も前掲の写真と同じく黒ずんでいます。塀の箇所を拡大すると黒漆喰が別箇所に見れます。
 
         撮影 1941年1月
 瓦の重なり部分の漆喰も白でなく黒となっています。
 白い帯状はハチマキと呼ぶようです。塀の上の瓦の隙間黒、白いハチマキ、黒漆喰の壁と色どりが決まっているようです。
 本門脇の漆喰壁に割れ目が出来ておりそれを覗くと土、瓦、石の積み重ねが見えた。
 
        撮影 2018年12月19日
 前の漆喰を剥がすと塀の角以外、下にコンクリートブロックが出て来る。御成門から東に続く塀は全面コンクリートブロックであった。
 
        撮影 2019年2月1日
 漆喰の塀は1970年代に改修しておりその際の工事と推測される。この工事は黒漆喰の記憶があり白でなく、塀建立当初と同じ黒漆喰で塗っている。
 表は黒ですが、庭側は白漆喰です。
 
        撮影 2019年1月31日
 もう一つ帯状のハチマキもありません。壁と同じく、砂漆喰の上に白漆喰を塗っています。この漆喰を剥ぐと、
 
        撮影 2019年1月31日
土と瓦、石の積み重ねが残っていました。壁面を剥ぐとコンクリートだった箇所は、
 
        撮影 2019年2月1日
 土と瓦、石の積み重ねでした。瓦を取り外し、壁の表裏面・棟も土で整えます。コンクリートは費用問題もあり、このまま再利用します。
 土を中塗の要領で塗り直し、角の瓦は焼くのが大変でもあり、取り外さずそのまま使用します。瓦を置く棟土を置き瓦を葺きます。
 
        撮影 2019年2月12日
 瓦を置く棟土を置き瓦を葺きます。
 
        撮影 2019年2月18日
 黒漆喰は硝煙を水に焼酎を入れ溶かし作り、壁を表は黒塗ります。
 本門付近の漆喰の塀。
 
        撮影 2019年4月4日

 本門側から南面の漆喰塀。
 
       撮影 2019年4月4日
 塀の角の白の線と、ハチマキの白と黒の固まり。
 裏の庭側は全面白。
 
       撮影 2019年5月30日
 これは射場の塀も同じ。
 
       撮影 2019年5月31日
 雨での泥はね防止で砕石敷いて貰っている。
 この黒漆喰の塀、曾祖父又彦の指示か不明であるが、漆喰は白と決めつけていたのを考え直させられた。左官屋さんの言うには「色漆喰は落ちる」とのこと、その通り古写真を見ると30年で黒は落ちていた。この変化も面白い。
 出来上がった漆喰塀を遠方から見る。

        撮影 2019年6月8日
 
白のハチマキと角の縦白がいい感じで、石積みの石灰の白系とコントラストで映える。
 番屋の古色とも合う。
                     ● 塀・門の工事状況 先頭

                      
● 修理保存工事状況 先頭

                     ● 安岡の家住宅<重要文化財>先頭