・物据などの祝い膳           20221015新規
 物据と銘々膳 
 この物据(ものずえ)は県外から明治38年に購入した品で曽祖父(明治33年逝去)の5年祭で使用(1年祭は別のがある)するので購入したと思われます。
 購入は能登の方からです。曽祖父は死去の直前、養蚕の仕事で北陸に行ってます。
 その時に能登の漆器を見て、気に入り妻房に購入を指示し亡くなったのでしょうか。
 以降の漆器名称は、箱書き、または専門家の漆器調査結果によります。
 銘々膳という名の膳があります。

 龍馬記念館の展示で『武家の女性』(水戸藩士の娘が母親の昔語りを記す)を引用し、日常食事で銘々膳を使用したとしています。本膳は精進料理用と使われ方が決められていますが、銘々膳は決められていないようです。銘々膳は名から各々の前に置く膳なのだろう。土佐年中行事絵図(城博パンフレットから引用)の「雛祭り祝の宴」では中央の料理を囲むように客が座り、客の前に膳があります。


 芸者さんと思われる人が、酒を勧めたり、料理を運んでいます。推測すると座の中央にこれらの人が入り、お客に酒を注いだり料理を勧めるのでしょう。絵図には物据らしきものは見えませんが、これに倣い物据と銘々膳で小規模宴席を作ってみました。


 行事絵図を見ると料理を載せるために物据が使われていませんが、絵図の中央右下に皿鉢らしきものが膳に載っています。家の宗和膳(下写真)の大きさが皿鉢に合いますので、これと同じような膳に皿鉢を載せたのでしょう。


 左の大皿に合う膳は不明、大きな魚は小机に載せているようです。皿鉢の宴が盛んになったのは明治以降のこと ですので、皿鉢と物据の組合せた祝いの宴席は明 治以降でしょう。
 大きな飾棚を紹介します。
 蔵から飾棚を出し立てる。寸法を測ると座敷本間の床間に合う。
 床の間に置いた飾棚想像図

棚の一部、及び同等構造の棚が道具蔵の展示室にあります。
 棚板を載せる角棒を打ちつけた釘に和釘と洋釘が混在しており、祖父の初節句祝の後に継ぎ足し、父の初節句でも同じような祝い宴を行ったとの記録があり接待を行う人(絵図にあるが芸者さん)を雇ったようです。
 
1988年に家で行なった年忌祭では、物据を座敷机として使い、各席に置かれているのは銘々膳でなく盆です。

 
 通夜、葬儀後の席はどうかというと、自分の経 験及び写真で確認すると四坊の部落では通夜、葬 儀で会食することはありません。部落の人は葬 儀で使用する道具作り、墓穴堀など葬儀の準備し、 葬儀の列の役割を決めたりしました。葬儀が終っ た後に御礼の品(酒など)が喪主から渡されました。 これらの手順は地域または家で異なるのだろう。

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