● 文助日記(一部)

 
 今年(2010年)の大河ドラマは龍馬伝です。龍馬の姉乙女の嫁ぎ先は岡上樹庵で、その岡上が山北の出身であることからか、司馬遼太郎の「竜馬が行く(岡上樹庵でなく岡上新輔)」に次の記述があります。
 『高知から東へ七里。
  ほとんど駆けるようにして、香我美町山北村の岡上屋敷についたときは夜になっていた。』
 現在は明治後期に作られた道路が家から数10メートル先の南側にありますが、昔の街道は家の前と聞いています。次の写真がその場所を示します。

     
2009年11月撮影

 菊は2009年から植えたものです。菊の右側(前庭との境)の石垣も当時はなったかと推定しています。街道も南側の道路が出来た時に狭めたていますので、奥に見える塀の際に合せて1尺ほど北側に寄っています。もしかして竜馬が駆け抜けたと思うと楽しくなります。
 しかし、「岡上は典医(殿様の医者)であり、城下で暮らしており、山北で乙女が暮らすことはない」との説もあります。
 前書きが長くなりましたが、今回は文助日記に出てくる坂本龍馬関係の記載を紹介します。

 まずは文助日記の表紙です。

 以下に横書きにし、日付別にした翻刻を示し、続けてその箇所の文助日記を添付します。
 
 ●紹介その1 岡上樹庵と坂本の兄権平との交流
 ●紹介その2 嘉助、龍馬の亡命

●紹介その1 岡上樹庵と坂本の兄権平との交流

萬延元替ル

安政七庚申年
三月十八日出府
同十九日薊野西田氏行談話同日小高坂江帰る
同廿三日別役俊蔵江戸出足
同廿四日岡上樹宅茶会
同廿五日坂本同道ニ而船ニ而浦戸桂浜江行
同(*閏三月の誤りか)三日帰る
同閏三月九日宇賀一郎平同道佐川江行茶屋初次宅ニ而滞留處々江被招いとをかし
同十四日高智迄帰る
同十七日山北迄帰る
同廿一日村山江行
同廿七日高智より宇賀一郎平門田宇平坂本権平村山守介数々来リ琴弾遊ニ夜滞留

 (注) 文助の父は廣助です。別役俊蔵は廣助の五男で別役家に養子となり、小高坂住んでいました。その妻は宇賀からきており、門田宇平は山北に居を持ち一弦琴の名手でした。 





●紹介その2 嘉助、龍馬の亡命


文久二壬戌年
四月八日嘉助大石蔵那須新吾坂本龍馬亡命
五月廿日覚之助道之助大阪より帰ル
十二月江戸英館浪人焼

文久三葵亥年
正月朔日天気よし
同十一日天気よし御乗初首尾能相済覚馬乗る
同廿四日天気よし
同廿七日覚之助京都御臨事御用相蓼?出足家来ふけ村卯八
同廿八日日和
同廿九日曇リ
同二月朔日天気よし
二日日和
三日日和よし
四日日和同夜少雷鳴
五日朝曇午より晴ル兎狩ニ行同夜より雨





                                     
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