● 文助日記(一部)
●紹介その1 岡上樹庵と坂本の兄権平との交流
萬延元替ル
安政七庚申年
三月十八日出府
同十九日薊野西田氏行談話同日小高坂江帰る
同廿三日別役俊蔵江戸出足
同廿四日岡上樹庵宅茶会
同廿五日坂本同道ニ而船ニ而浦戸桂浜江行
同(*閏三月の誤りか)三日帰る
同閏三月九日宇賀一郎平同道佐川江行茶屋初次宅ニ而滞留處々江被招いとをかし
同十四日高智迄帰る
同十七日山北迄帰る
同廿一日村山江行
同廿七日高智より宇賀一郎平門田宇平坂本権平村山守介数々来リ琴弾遊ニ夜滞留
(注) 文助の父は廣助です。別役俊蔵は廣助の五男で別役家に養子となり、小高坂住んでいました。その妻は宇賀からきており、門田宇平は山北に居を持ち一弦琴の名手でした。
二
文久二壬戌年
四月八日嘉助大石蔵那須新吾坂本龍馬亡命
五月廿日覚之助道之助大阪より帰ル
十二月江戸英館浪人焼
三
文久三葵亥年
正月朔日天気よし
同十一日天気よし御乗初首尾能相済覚馬乗る
同廿四日天気よし
同廿七日覚之助京都御臨事御用相蓼?出足家来ふけ村卯八
同廿八日日和
同廿九日曇リ
同二月朔日天気よし
二日日和
三日日和よし
四日日和同夜少雷鳴
五日朝曇午より晴ル兎狩ニ行同夜より雨