昔、二代目廣助が家を継いだとき、作った言われている仏壇(現在は押入れで使用)に収められていた衣装ケースに古い写真が数多く出て来ました。それらを紹介します。衣装ケース内の写真は、以前はどのように収められていたかは不明ですが、大きさなどもバラバラです。
最大のサイズはA3より幅広いです。通常はA4サイズで、厚紙に添付しています。
ガラス板写真で木のケース入れ、何か卓上に飾ったと推測されるのもあります。
● 江木松四郎
写真を添付してある厚紙に写真師等が記載されています。
記載されていた寫真師 江木松四郎、成田常吉の二人をインタネットで「全国寫眞師一覧表」を参照すると、明治20年代の写真師のようです。これに貼られていたのが、次の写真です。
上写真の右から三人目が、明治18年に安岡に別役から養子に来た安岡又彦(没年明治33年)です。もう一枚、時期が同じか不明ですが、又彦の洋服姿の写真(下)があります。これも江木松四郎が撮影しています。
● 高知(土佐)の写真館
前述のように東京で撮影するのは、高知ではこの頃に撮影する店が無かったからかと思っていましたが、高知で撮影された古い写真がありました。次は明治22年に撮影されていました。
写っているのは、安岡又彦の次男豊彦と思われます。
何故、東京で又彦は写真を写したのでしょうか。値段は高いと思うのですが。写真館は明治中期には全国に広まっていたのでしょう。
残っている写真をみると高知の写真館に今井栄寫眞舘、藤本寫眞舘があります。明治後半で多いのか不明ですが、高知だけの現象か、他の地方でも同様なのでしょうか。
● 人物以外の被写体
写真は人物像だけかと思っていたのですが、又彦は国富増強の呼掛けに応じたのか養蚕を高知で進め、福島、長野などへ視察に行ってます。その関連か、情報伝達として写真が送られて来ました。そこには次のように記載されています。
「明治廿二年清国寧波税務司獨逸人フェルヂナントグライン、ウェヒテル氏本縣蠺業視察トシテ来遊ノ際
拙家蠺室雛形依頼ニ□製作ノ上仝氏ニ送リタル撮影ナリ
長野縣 墳料部・・・・・」
記念の撮影だけでなく、情報伝達手段として使っていたのです。
● その他
ポストカードですが、何故これをポストカードにしたのか不明です。
今でも高知の名門女子高「私立土佐高等女学校」の発行です。
自彊(じきょう)術体操、自分を強める体操のようです。
日常生活の様子を写した写真を古い写真_2に紹介します。
写真を写すこと、写されることに、そこから何かを意識を感じます。
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