大正から昭和初期の絵葉書を紹介します。今回は高知編です。大正、昭和の初期はカメラを持ち歩くことが少なかったので、記録として絵葉書が作られていたのではないでしょうか。今では日常のスナップと思われる絵葉書を紹介します。
 名門女子高「私立土佐高等女学校」から発行された「自彊(じきょう)術体操」の手順を示すカードを古い写真の頁で紹介しました。啓蒙のために作ったのでしょうか。これも学校、高知第一高等女学校の発行です。高知第一高等女学校は大正15年に改名したようで、その時に一番上の叔母が入学しています。校名の変更があり絵葉書が発行され、それで購入したのでしょうか。
 
 制服が着物でなく、洋服のセーラー服のようです。
 
 上の写真は校舎全景です。高知城から撮影したのでしょうか。

 次は運動會の遊戯の絵葉書です。 
 この絵葉書「黒岩村運動會発行」となっています。参加した村の人が購入したのでしょうか。写真の題は遊戯となっています。拡大すると外側が着物の女子で内の白いのが坊主頭の男子のようです。黒岩村運動會発行となっていますが、村の大人は先生以外写っていません。何故、山北の家にあったのか、この絵葉葉書が販売されていたのか。山北から遠く離れた黒岩村の運動會の絵葉書を何故購入したのか。入手経路が気になります。
 絵葉書ではないのですが、運動会、昭和20年頃の写真があります。

 観ているのは大人、内で競技しているのも大人の様に見えますので村の運動会ですかね。撮影したのは家の人のようで、背後の山は山北から見た秋葉山の山並み、手前の建物は山北にないと思うのですが。
 
 赤岡からの手結港の景色、赤岡にあった郡公會堂から赤岡の西部の景色の絵葉書を紹介します。
 秀彦の日記に
大正10年八月十五日 月曜日 天氣 晴 寒暖
・・・入交時計店ヘ行キ金時計ノ掃除ガ出来テ居ツタカラ取ツテ来タ
修繕スル箇所ハ無ク掃除シタ所非常ニ多ク微細ナ物ガ入ツテ居ツタ
其レカラ村上ヘ行キ赤岡辺ノ絵葉書ヲ買ヒ
帰途村ノ役場ヘ直チニ行キ午后四時過ギ帰ヘル・・・
 とあります。この赤岡近辺の絵葉書を村上さんから購入とあり、絵葉書に記載されている村上製と日記の村上が一致します。大正10年村上さんがどのような意図で絵葉書を製作したか不明ですが、現在では貴重な資料です。

 手結港の絵葉書、中央に曲がった松らしき木が見えます。白くボケていますが、その先が港と思われます。現在は高い防波堤が建ち見えない景色と思います。


 「土佐香美郡公會堂より赤岡町西部を望む」の絵葉書(写真)、写真左に松らしき木々が見えます。その先が海岸線なのでしょうか。手結港の写真より家が軒を触れるように建ち、二階建て、屋根が広く大きな家があります。いずれの写真でも屋根は瓦葺きで茅葺きの家は見えません。山北の古老に聞いた話で山北付近でも茅葺きはニ、三軒しかなかったと聞いたことがある。
 その一軒が安岡の家の道具蔵の北側の家を移築した建物であった。これだけの需要があれば、瓦屋さんは数多くあったのだろう。

                    ● 安岡家にあった文書index

                    ● 安岡の家住宅<重要文化財>先頭


● 絵葉書など 高知

新規 2019年10月14日