● 大きな飾棚         20180110 新規

 解体する直然の米蔵の西側の部屋から、整理なく放り込まれていた丸太を外に出すと、そこから次の部材が見えました。
 
           2012年9月 撮影
 
手前は二階への階段、奥の段々が付いた部材が何だろうかと思い気になっていました。2017年10月に退避していた部材を出して貰い調査しました。
 まず、置く方向ですが、横では意味分からず、合わせ置きでは段々の意味がない。

           2017年10月 撮影
 どうも縦両側置きが素直なように思えた。
 これも養蚕関係の用具、エビラ(養蚕道具参照)を乗せる台にしては色々の長さが不統一、養蚕の道具置きとすると上の方は取りにくい。棚用の横棒も角を削り丁寧な造りとなっているので飾棚として推測する。
 和釘細工の後に洋釘の細工が混在しています。和釘の使用は明治20年頃迄ですので、この棚は明治20年頃に使用されたことになります。明治20年山北の家には娘はいませんので、この飾棚は男の祝の飾棚となります。
 祖父の日記に惣領が誕生した時に、初節句の祝を二日間続ける大祝宴をしたとあります。
 明治は祖父の誕生、その後に自分の惣領誕生祝で使用した飾り棚でしょう。

 上写真の赤線箇所に床框に置くサイズの切込みがあります。
 下写真右側のように本床の間においたのでしょう。

 床の間の大きさに合わせていますので、その大きさは高さ183cm、奥行き 床の間幅90cm 手前に60cmで150cm、幅は棚にした板が残っていないので不明ですが床の間の幅とすれば約190cmとなります。このような大きな五段の棚に何を飾ったのでしょうか。
 力づくでの分解は難しいですが、各々父の思いがこもっているためか120年も生き延びた棚なのでしょうか。
 


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