右左瓦の葺き分け

 右左瓦は下り棟を境で変わっています。
 
 上写真で丸瓦の境で瓦の山位置が変っています。
 この写真は解体直前に撮影しています。
 丸瓦の左手屋根の奥、中央付近で色が変化しています。瓦の山の関係でこのような色変化が起きます。つまり、ここで右と左瓦が入れ替わっています。
 今回の平瓦が葺き終わった同じ箇所から撮影したのが次の写真です。

 丸瓦葺きはこれからですが、棟の境で右と左瓦が入れ替わっているのは、解体前と同じです。葺き直した屋根は瓦の線が縦横斜め直線です。解体前は波うってます。特に斜め線は波うちが目立ちます。
 棟左側の屋根の中央付近でなく、奥側(西側)で色が変化しています。
 水仕舞を良くするため、このような瓦葺きをするようで他の建物でも同様な作りがあるそうです。
 右瓦左瓦の境を中心に持って来たのは、最近で1961年以降のようです。それを次の写真で紹介します。

 分かり難いですが、上写真で前に延びている屋根の中央でなく左側で色が変化しています。今回の同じ屋根を見ると次のようになります。

 二枚の写真を比べるといずれも入母屋の前に突き出た箇所で左右の瓦の境目があるように見えます。上の古い写真は1963年頃に撮影しています。
 出納簿の記録を見ると1964年に台風被害補修のため、瓦200枚購入の記録があります。この工事で右左瓦の境を中央に持ってしたのでしょうか。デザインとか、風向きとか、水仕舞とかでなく単なる瓦の枚数都合でこのような作りにしたのでしょうか。
 前に左・右瓦と瓦前面デザイン/縁側には異なることを書きました。また、米蔵の中央部での右左瓦の葺き分けを紹介しました。写真を見直していると建立当初からの作りではないようです。

 前の人物の右は祖母で、背後が米蔵です。右左瓦の葺き分けが見れません。祖母の洋服姿は珍しく昭和36年以降と思われます。米蔵の屋根も葺き直しています。
 もしかして、右左の同一屋根の中央での葺き分けは昭和30年以降の流行だったのでしょうか。
 

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