座敷部の組立・四畳半追加(復原)

 居室部と座敷部は狭い廊下(下写真の赤→)で繋がれ脇に中庭(青←始点)がありました。解体の結果、中庭の右隣にある六畳作成時に四畳半が撤去されたことが判明しました。

 
この六畳とそれに繋がる湯殿・雪隠は弘化四年真喜姫の訪問で緊急に工事をしたようです。次に紹介する四畳半の一部を切り取り、軒先の梁を六畳の大引(床下梁)にしています。その六畳を座敷部の廊下から見た写真を次に紹介します。写真では座敷部の障子などを取り外しています。


 四畳半があったころの図面は次の通りとのことでした。
 四畳半の資材が三畳の居室部資材として利用(赤←)されました。


 
座敷部建立の文化七年の状態にするため四畳半を追加します。
 接続する座敷部の縦方向を整えます。


 
板の力で押し、垂線を確認し、仮のカスガイを入れます。

 
これで座敷部の縦方向がある程度整いました。
 座敷部の屋根裏を作ります。そこで以前見掛けた墨書に出会いました。


 
梁を繋ぎ合せるための目印、サソリなどの墨書です。

 これらを繋ぎ合せ屋根裏ができます。
 廊下側を組み立てます。廊下の梁は人目に付く場所なので表面を削り整えた部材を使用しています。


 
200年の屋根の重さで捩れているので接続部は押し込み繋がりました。 
 見えない屋根裏には曲がった部材が巧く使われています。


 
サソリ木との重ね合わせに永い眠りに入っています。
 座敷部の軸部組み立てと同じように四畳半を組み立てます。


 
毛布が掛かっている箇所が四畳半です。
 下写真で束柱で十字に組まれている梁が玄関に利用された資材です。
 (前述の赤←の箇所
)

 
この資材は二百年を経て元の位置に戻ったことになります。
 下写真は六畳解体直前ですが、下に床根太を乗せた大引があります。その切断元が下写真中央部分が丸太に交差して残っています。

 この大引きも元の軒先の梁に戻りました。切断で短くなった部分、左側に継ぎ足し(少し色が違う)ています


 これに軒板が敷かれ建立当初の姿になりました。

 上写真の奥が四畳半の屋根です。これを反対の西側から見たのが下の写真です。四畳半に屋根板が敷かれると居室部(下写真左)、四畳半(下写真中央)、座敷部(下写真右)が緊結していることを再認識します。

 このような緊結した建物を文化五年と文化七年と時間を置いて建立した理由、真喜姫の来訪で取り壊し六畳(上段)を建立した状況など色々なことを想像させられます。

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