主屋の試掘調査(漆の椀)     新規 2015年10月7日

 主屋の試掘調査で漆の椀は、居室部の下にありそれほど深くないところから数個出て来ました。

 上写真の赤白の棒が立てられている付近から出てきました。

 出てきた椀は、木地ガ残ったもの、木地が無くなり漆だけのもありました。

 上写真で左の赤白棒付近に木地付、その右側に黒半円が漆だけのものです。

 出て来た場所は居室部が文化五年に建立されていますのでそれ以前の漆椀となります。
 高知では古代塗りと呼ばれる漆工芸品がありますが、これも明治に種田豊水が作り出し、明治後期(房の時代)の漆製品は輪島から購入していました。
 座敷の床框、書院障子の漆細工に現在の山北の北西側の三宝山を越えた隣村「佐古村」の塗師が来ていますので、地場産業として漆の椀は作られていたのでしょう。
 出てきた椀との関連は不明ですが、鱠皿(安永九年)、椀の黒漆(文化三年)と書かれた箱が
あります。

  鱠皿貮拾人前(表)    子六月吉日 出来 安永九年
                 みつひこ 大正以降加筆


九兵衛 南紀栗屋(カ) 黒椀拾人前 文化三丙寅春

 安永九年は初代覺兵衛の結婚した年、文化三年は二代目廣助の婿入りした年と推定されます。
 これらの椀はそれぞれの式宴で出された椀かも知れません。

 漆製品はこのように式宴のあるときにのみ購入していた貴重な品を埋めることは何か重要な意味があるように思います。
 葬式で棺を担ぎ門を出るとき、これから食事に困らないように茶椀を割る仕来たりがあります。これからの類推ですが、婚礼の宴で使用した椀をハシリ(台所)または釜屋付近に埋め、食べて行ける事を願ったのではないでしょうか。



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