居室部竣工           2017年7月8日
  主屋工事が2017年3月に竣工しました。主屋の北側の居室部を紹介します。以下に建物の位置関係等は主屋修理 復原設計の図を参照して下さい。
 下写真は解体直前の主屋全体を南西から見ています。

           2013年7月 撮影
 屋根の上の白いシートは、屋根瓦修理困難のため雨漏防止のシートです。左の緑シートは解体が始まった米蔵を囲んでいます。
 これがこのように修理されました。
 
             2017年3月 撮影
 北側からも見ても大分疲れています。 
             2013年8月 撮影
 上写真中央上部の白いのは雨漏防止シート、左端は継ぎ足した便所です。手前の青色シートは釜屋の解体跡に被せています。
 これがこのように修理されました。
 
             2017年3月 撮影
 上の右側のシートは漆喰が乾くまで直射日光を避けています。修理後、左側にトイレがないので少し小さく見えます。
 これらを北西から見ると修理前は次の通りです。
 
             2013年8月 撮影
 手前のブルーシートは道具蔵解体の跡です。左から座敷部、奥納戸、奥座敷、居室部で屋根の左端に明り取り窓が見えます。上の前の建物撮影と少し角度が違いますが、驚くほど新しくなり、形も違います。

            2017年5月 撮影
 奥座敷、奥納戸は文化年間にはなかったので復原していません。それで家が違って見えます。この反対側(西側)に戻ります。
 次のは昭和18年の正月の写真です。
 
 木が隠しているのではっきりしませんが、人物写真の後に玄関がありました。

             2006年5月 撮影
 この玄関、傾き隙間だらけで玄関の障子も敷居から浮いていました。その背後に
湘烟の「英雄廻首即神仙」書が飾ってありました。
 同じ位置から元の玄関位置を撮影した写真がこれです。

            2017年4月 撮影
 新しくなっていますが、塀と屋根の重なりに面影が残っています。玄関はなくなり濡縁を復原しました。濡縁の東(上写真右)奥に四畳半が続いています。その四畳半が下の写真です。高知では四畳半でも、半畳の畳は茶室以外では敷かないそうです。小さめの一畳の畳を五枚敷いています。
 四畳半となる前は奥座敷の中庭でした。中庭の北側の部屋は雨漏りで中庭側にブルーシートを張っていました。その部屋はこんな感じでした。

            2012年9月 撮影 
 小さな障子、開けたことがありませんでした。ここに文化五年には床の間があり復原しました。上の写真右側の鉄板付板戸の奥に座敷部が狭い廊下の先に続いていました。床の間の脇を行くと、前述の四畳半の部屋で奥に座敷部があります。

 床の間は弘化四年奥座敷建築時に取除き、その資材は前述の玄関の建築で再利用されていたそうです。この西側を西座(用の間)と呼びます。その用の間の縁付近に座りると先に番屋が見えます。南東の角にあった池は明治に掘られたので埋めました。

            2017年3月 撮影
 座った右手に仏壇を復原しました。
 居室部入口の土間を紹介します。

        2005年9月撮影
 絵図に残された藩政時代のカマドの痕跡は土間にありませんでした。土間と居間の仕切壁、梁が黒くなっていますので、明治に入り養蚕関連で土間でカマドを使用したと推測しています。
 

        2017年6月撮影
 土埃を取除いたので梁は黒光しています。土間と居間との仕切壁はなかったとの判断で取付ませんでした。それで奥の梁までが見えます。黒い梁に漆喰の白さが目立ちます。


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