東(下写真右側)に木製の塀があり、隣り合わせの漆喰の塀より高い。
撮影 昭和10年後半頃
上の写真の撮影場所は家から南の村道(現在県道)に出る道です。
藩政時代は漆喰の塀はなく、全て板塀であった。塀の奥は射場であり、その周囲の塀は的を外れた矢が飛び出さないように少し高い塀としていたと推測される。
礎石と塀は緊結していないので、台風などの強風で倒されたこともあり、その時の状況を下写真示します。
撮影 昭和38年
この写真から木の塀ですが、瓦が葺かれていたことが解ります。この修理で塀の高さを低くしトタン葺きの屋根に改造しました。
下写真のように塀の礎石の一部が凹んでいました。
撮影 2019年1月21日
明治に作られた絵図にはこの箇所は凹みなく、直線で描かれています。絵図通りに直線に直すようにお願いしたが、竹草を刈ると凹んだ附近から石グロ(埋葬の跡)が出て来ました。墓の上に礎石を置くのは良くないので、礎石の凹みは従来通りとすることにしました。
礎石の石垣は他の野面積と違い、切込接(きりこみはぎ)の様に見える。
撮影 2019年4月2日
上写真の左側の太い木が台湾カエデで、大きいので根が石垣に伸びる心配していた。
撮影 2019年4月3日
曲がっている個所の石積を直していると、台湾カエデの根が伸びていた。
下地にコンクリートを敷き、柱の礎石と同じく上を水平に調整して固めます。
撮影 2019年4月30日
上に載せる台座の固定のため差し込んで広がる特殊ボルトを差し込むと石が割れる可能性があり、穴にカセット入った接着材を置きます。
撮影 2019年5月20日
接着剤でボルトが石に固定されます。
据え直した石済みに塀の台座を置くため、その台座を下の石の形状に合わる柱の点の光処理を線で行います。
撮影 2019年6月16日
これを礎石に置くと、ピッタリです。
撮影 2019年6月20日
南端から台座を見る。
撮影 2019年6月20日
赤い水糸に少し台の位置が北側(写真奥)が段々上っています。これは塀の柱で調整し、棟は水平になるそうです。
これを上から見ると小さな四角の穴が見えます。
撮影 2019年6月20日
この四角穴に前述の接着剤で固定されたネジに、ボルト入れ台座を留めます。
撮影 2019年6月20日
柱を建て、支え柱も据え、貫で固定し、棟を載せ、天井を張る。
撮影 2019年8月26日
ルーフィングを敷き、軒先瓦、平瓦、熨斗瓦、丸瓦を載せていきます。
撮影 2019年9月3日
奈良の瓦屋さんが葺いた瓦に高知の左官屋さんが漆喰工事をします。
撮影 2019年10月2日
出来上がった東の塀、漆喰塀との境界
撮影 2019年9月25日 大正15年頃
漆喰壁の角回る箇所黒漆喰で復原、大正15年頃は既に黒は消え灰になっている。
仮設を撤去し全貌が見える。東の外側。
撮影 2019年11月6日
墓地であり凹ませた箇所。
撮影 2019年11月6日
東の塀の内側。
撮影 2019年11月6日
東の塀の工事終了しました。
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