文助日記に次の記載があります。
弘化四丁未年正月十一日御駆初首尾能相済此年甥恒之進初而乗馬黒鹿毛
上馬ニ而首尾能相勤
同年二月廿八日南御屋鋪槙姫様山北村浅上宮江御参拝本家恒之進方ニ而
一夜御宿リ首尾能相勤此之時恒之進拝領物扇子煙草入金子弐百疋お猪鹿
覚馬両人御前ヘ被召御菓子拝領
同廿九日本家平八家内不残有馬入湯ニ出足
同三月五日より恒之進祝客初日八日迄仕
同三月本町御屋鋪内膳様御養子ニ御出被為遊候ニ付御国内御巡見
同廿一日高智御発駕ニ而此江御止リ
同廿二日小川
同廿三日岡内
同廿四日大栃
同廿五日山北恒之進方御宿
同廿六日御滞座被為遊馬術御覧被仰付執候首尾能相勤一同御扇子拝領
乗馬人数自馬持大石良衛門岩井直蔵公文勘十郎池内平次郎岩井専次郎山本 安次郎別役俊蔵西又二郎 同隆左衛門貞岡栄次郎安岡利弥安岡文助安岡恒之 進
此時儀御成門建上ケ上段出来ル
槙姫、内膳(二人のことは別頁に記載)のいずれの為か不明ですが、上の最終行にある通り御成門及び上段(ジョウダン 座敷の本の間に続く部屋)を作っています。この御成門は東の溝の脇にあり、それ以前も、門があったように推測します。
この御成門を昔からの写真を並べます。
撮影 大正15年
大変子供が賑やかな感じがします。御成門に脇塀が見えます。柱の上に被りがありません。
撮影 昭和13年(1938年)6月
脇塀が少し高いように見えます。脇塀は練塀の前の板塀の名残で高くしたのか。
撮影 2007年9月
この御成門は1970年前半に作り直した門です。脇塀がないが、柱の上の被りがあります。御成門の板に大きな節穴が見えます。ここから門の扉が弱まり、5年後には柱は残りますが、扉は崩れました。解体で残った柱には鉄の足が埋め込まれていました。礎石に乗っただけの柱、屋根のない建物(門)は雨に弱く、取替の頻度は高かったのでしょう。この御成門の形式は大正、昭和初期の違い、脇の板塀がありません。
撮影 2019年9月2日
鉄の足の代わりにコンクリートから金属の足が出ています。これに柱を被せ腐りを防ぎます。
撮影 2019年9月26日
建てた柱の足元に銅板を巻いています。この箇所は土で隠されます。
撮影 2019年9月26日
撮影 2019年12月10日
御成門の扉を閉める。形式は古い御成門の形式に合わせ脇塀を付けています。
扉を開けると座敷部が見えます。
撮影 2019年12月19日
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