● 子年菊日記<客間障子工事記録>

 供物帖と一緒に菊日記と表紙に記載された下の資料がありました。


 縦書きにして読むと「文政拾三年 子年菊日記 正月吉日 子年萬日記」とあります。文政拾三年は寅年ですので、表紙の子年記載と矛盾しています。子年に記載始めたが、用紙が余り、文政拾三年も書き足したのでしょうか。
 子年は文政十一年で、これは書院障子の框に書込みにある年です。
 以下に内容を再掲します。

『文政十一年戊子春三月吉日造之 工匠山北邑重八 行年三十歳 塗師佐古村三右衛門■■■ 高拾枚 安岡廣助正雄

 菊日記の前半には職人の時賃などが記載され、索引に職人と付与された頁に重八と記載されていました。『重八 障子仕成 正月十九日参・・同廿日不参・・・』


と出勤日が記載されています。更に出勤日が三月十九日まで記載されています。
なお、重八は番屋及び本門にも墨書で名が記載されています。


重八に続いて悦蔵(本門に墨書で名が記載)一月の終わりから二月まで出勤しています。

毎日出勤していたので、不参の赤丸の記載がありません。
 最後に『〆四拾七人半役也 壱人硯蓋役 弐人床かまち 四拾四人障子 作料八拾五匁五分 指口〆』とあります。重八の出勤日は45日ですので、略障子作成の44人(日)に合いますが、悦蔵の働き分がどのように計算されているのか不明です。
 なお、床かまち(床框)は床の間の前面の横柱です。



 さらに、次の頁に書院障子框の墨書にあった塗師 三右衛門の名が出てきます。
 下写真左側です。

 
 重八と同じように出勤日が記録されています。
 三月十五日からの出勤になっています。
 大工が障子枠を作り終わり、塗を塗る作業が1ヶ月間作業をしています。


         ↑この付近に記載
 出勤簿の最後に『〆三拾三人半役 代六拾七匁相渡』とあります。
 障子枠など工事が47人半役(85匁5分)でしたから、工事期間が短い分漆工事の方が安くなっています。時間単価はいずれも同じようです。現在は漆工事の方が高いのではないでしょうか。
http://hirose-gawa.web.infoseek.co.jp/mame/kahei.html
によると上方で貨幣価値は1匁=1000円、1分=100円ですので、
 障子枠などの工事が8万5500円、漆工事が6万7000円となります。
 出勤日数に比較すると非常に安い感じがします。

 漆工事が行うため障子枠(縦・横)を取り外しできるような細工がなされたいます。
 上側は棧の関係で端に寄っています。
 敷居側にも消えかけていますが、文政の字が見えます。
 施主である廣助の名が、書院障子の框に書かれていますので、建物の墨書と違い廣助自身が書いたのかも知れません。間違って敷居側に書いたのも廣助の可能性はあります。
 また、塗の作業が四月十六日まで続いていますので、書院障子の框の「三月吉日造之」記載とずれています。何か意味があるのか不明です。

 前述の紹介した記述以降にも職人の名、出勤日等の記載がありますので、解読すれば他の作業も見えてくるかと思います。出勤日が書いてあるとは、業者は施主の家で作業していたのでしょうか。漆師も。

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