● 主屋修理保存工事 全解体工事

 主屋の修理保存工事は半解体の予定でしたが、柱、足元等の傷みが
激しく、指でも倒れそうでもあり、半解体での修理保存工事は困難の判断
から全解体となりました。
 
     白アリ被害かおおきい 床根太
  指で押せば倒れそうな柱  

 全解体により工期は延びそうですが、新たな発見がありました。
 以下は主屋全体の柱郡、大黒柱ない建物です。


 まずは、座敷部が解体されました。部材は仮設部内に置かれています。

 座敷部を解体→座敷部の梁などの解体については、取材できていないので
竹節欄間の解体を 竹節欄間 の頁に示します。
 座敷部を解体すると客間の前に大きな広場が出来る。
 
 上写真で手前が座敷部でその奥が居室部となります。門までの間にこんな広場
があったのだろうか、まるで座敷部を前に建てるような配置、疑問でした。
 居室部の解体について次に示します。
 上写真の居室部の上に右から左(東から西)に乗せてある梁を取り外すと出てき
たのが、以下の文化五年の墨書です。

 居室部は文化五年に建てられた!
 初代がこの地に移り住んだのが明和八年の記録がありますので初代はどこに住んでいたのだろうかの、疑問が出てきました。
 東西の大きな梁の取り除き工事、取材できていないので、南北の梁の取外し
工事を次に示します。
 まず、取外した梁は以下の大きさで、600キロあるかと推定しています。


 これを乗せていた大きな梁たち、

 前述の墨書は上写真から2本目の梁とのダボ(抑え)に書かれていました。
 これらの梁と瓦、瓦土を合わせて10トンの重さをか細い、一部は折れそうな柱が支え、その下で宴会をしていたのです。所謂大黒柱がない建物の強さは何でしょうか。
 梁を柱、束から引き抜くためにまずジャッキーを据えます。

 3台のジャッキーを息を合わせ、少しずつ上げます。

 中心部の上からの吊るしは抜けるまで振られないようにバランスをとります。
 
 概ね抜けました。これを持ち上げ脇に置きます。
 置かれた梁を設計部門が一本一本の詳細な調査をお行います。
 南北の梁が乗っていた軒先の東西の梁を取外します。
 その東西の梁で北側に設置されていた梁は表面を整えた材、
 
 次が南側に設置されていた梁です。
 南側は人目があるので、柾目の材を使っています。
 
 30センチ幅がありますので、一本木では無理なので、連結材となっています。

 上の梁がなくなり、柱が折れないように柱間の貫を取り除き柱、床根太を取外し更地になりました。
 
 礎石だけとなった、礎石の描かれた十字線の居室部(上写真手前)と座敷部(上写真奥)が一直線に並んでいました。そして、居室部の礎石には、線が2本、複数の番付が書かれていたのもありました。発見の頁→礎石 参照。
 見上げると大きなドーム
 横も高さと同じあります。
大きなコンサートが開けそうです。  


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