● 大工への支払記録

2011年7月3日更新

1.生産・会計の記録帳

 横15cm、縦45cmの和紙を閉じたいくつか資料が残っています。
 以前紹介しました菊日記(萬日記)もその内の一つです。表書きは萬日記、貢物帳、銀米請取、根居帳、銀米納所、銀米差引などがあります。
 貢物帳、銀米請取、根居帳などは土地貸料の受け取り帳簿です。土地生産の記録です。
 
 銀米差引帳は会計関係のメモ帳のようで、萬日記にも同様な記載が見えます。
 


2.大工への支払い

 銀米差引、萬日記を見ていると他の資料にはない、番屋・本門を建立した大工の重八、悦蔵などの名が出てきます。 次の資料は、上の右の表書き「文久四年 萬日記 子ノ正月吉日 安岡嘉一郎(安岡覚馬の前名)」に綴じられていました。

 先頭頁

次頁

<先頭頁から 同一日を一行で書き出し位置合わせて表示>
   大工 悦蔵
 二百十五匁相場 一 吉米 四斗 正月廿一日 代八拾六匁
 同じ         一 同   四斗 二月十八日 代八拾六匁
   ・
   ・
 三百匁       一 同   四斗 十月廿九日 代百二十匁
<次頁>
             一 同   四斗 拾一月廿日 代□拾六匁 〆□六拾六匁□
             一 同   四斗 十二月廿七日 代六拾□□
 〆四石八斗 代□六□拾匁
   指引□□

 この後にも、同じような大工への支払いと思われる記載が続きます。
 同様な資料について記載を確認したら、次表のようになりました。
資料名 作成西暦年 大工者数 表書きの名前
根居差引帳 嘉永四年亥八月 1851 悦蔵、重八、百蔵 安岡恒之進
根居差引帳 嘉永七年寅八月 1854 悦蔵、重八 安岡恒之進
銀米差引帳 安政二年卯八月 1855 悦蔵、重八 安岡(恒之進)正代
銀米差引帳 安政五年戊午八月 1858 悦蔵、重八、 安岡(恒之進)正代
銀米差引帳 安政六年未八月 1859 悦蔵、重八 安岡(恒之進)正代
銀米差引帳 蔓延元年 1860 悦蔵、重八 安岡(恒之進)正代
文久二年 銀米差引帖 戌八月 1862 記載なし 記載なし
文久四年 萬日記 子ノ正月吉日 1864 悦蔵、重助、鉄次 安岡嘉一郎
元治二年 萬日記 丑正月 1865 悦蔵、重助、鉄次  安岡(覚馬)正慎


 文政十三年の本門、番屋建立、嘉永三年に番屋の隣に長屋を建てた以降、大きな工事の記録はありません。  資料が少ないし、資料内容を完全に把握してはいないのですが、この支払いから大工を常時、雇っていたように推測されます。家の維持管理に必要なのでしょうか、それとも日曜大工程度も頼める状態にしてあったのでしょうか。調査継続が必要です。
 日曜大工的な仕事の一つとして、明治七年に作られ鉄次作の文台を紹介します。以前のものがなったのか、疑問はありますが、おおきな大工仕事がなかったことの一つの象徴のような製品です。
 
  

 


3.大工の記載
 
 農業従事者と思われる人は、資料では住んでいる場所(ふけ、久保、惣田など 下写真)を、今の苗字のように書かれています。


 重八、悦蔵などは場所でなく、前に紹介しましたように職業名「大工 重八」、「大工 悦蔵」と書かれています。大工で始まる記述は、習慣なのでしょうか。
 
 孫引きになりますが、香我美町史上巻に明治十二年調べの職人配置状況が記載があります。山北村に

   鍛冶、大工、樽屋、畳師、瓦焼、製紙を営む戸数が74

とあります。町史でこの各村への調査不統一性を問題にしていますが、西川村の「農業の傍ら製紙業67」を除けば、山北村は近隣の村に比較し倍以上の「工」関連の戸数になっています。これらの仕事に毎日注文がないでしょうから、どのように生活をしていたのでようか。あくせすせず、ゆったりと暮らしていたのでしょう。
 それでも昭和初期には山北の瓦焼は2軒しかなかったと聞いたことがあります。

 宿毛歴史館の資料を読むと、「鍛治、大工、左官などの職人はみな親方のところへ弟子入りをして一定の年限を経て一人前となることができたのである。大工の弟子の年数8か年、樽屋弟子8か年、鍛治弟子の年数15年・・」とあります。
 また、職人は職人役銀を払うことになっています。現在と同じように自分で納税に行ったのでしょうか。そうであれば納税場所はどこにあったのでしょうか。重八のようなお抱え大工も自分で納めたのでしょうか。
 大工を名乗るにはそれなりの修行が必要と書かれています。 山北村内だけでは工事チャンスの少ないので実施修行が出来ないと思います。また、建築の新手法、特に決められた建築様式(武家の位による家の様式)などを、狭い山北村から出て学んだのでしょうか。村を出るとなるとそれなりの願い(入湯願いも同じ)を出す必要があったかと思います。
 
 もしかして、前述を修行を終えると、大工などは土地に縛られる事はなく、仕事を探しに出ることが出来たのでしょうか。
 
 

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