● 道具蔵 修理保存工事    改訂 2020年1月14日

 2012年12月に仮設設置→1月 解体開始→試掘→基礎工事→柱組立と進みました。解体工事などは米蔵と同じ手順です。この道具蔵は移築された建物でその移築元を推理しました。こちらをクリックしてご覧下さい。。       
工事 詳細下線
(クリック) 
工事状況  状況の時期   備考
 道具蔵解体  解体終了  2013年4月  解体の流れ及び
解体前の状況を以下に提示
修理‗土壁まで
(解体前併記)
 工事終了  2018年9月  
修理‗瓦葺まで
(解体前併記)
 工事終了  2019年2月
修理‗水切瓦  工事終了  2019年1月  
内部工事  工事終了  2019年2月
仮設撤去   工事終了  2019年12月

○ 2012年12月 道具蔵解体工事開始
  道具蔵をすっぽり覆う仮設素屋根設置する。

        2012年12月 撮影

○ 2012年12月 道具蔵解体工事開始
 素屋根も設置され瓦を取除きます。
 道具蔵は木が覆い被さり、枯葉が屋根に落ち、乾きが悪く、瓦も痛みやすく、台風で瓦飛ばされたり、折れた大枝が屋根に落ちたこともあったようです。

      昭和30年代撮影
 母屋の屋根越に大きな木が倒れているのが見えます。手前の人の持っているカバン異常に大い。
保険屋さんでしょうか。これを蔵南側から見るとその被害の大きさが分かります。


         昭和30年代撮影
 この大きな木は位置から見て客間の庭の松と思うのですが、枝振りが松ではないようなに見えるのですが。
 このような被害で瓦が割れ、交換で近接の瓦との相性が悪く隙間が出来て雨漏りの要因にもなったようです。
上の写真で下側右側の水切瓦が落ちたように見えます。建物周囲に木は良くないようです。
 
 下の写真は瓦おろす前の道具蔵の瓦、杉の葉が乗り、苔が生え(水を吸った瓦)、割れた瓦、瓦間の隙間が見えています。
 
     2012年12月04日 撮影

 瓦の葺換工事は昭和30年代まで近所方が集まり行って頂いたようです。
昭和30年後半 撮影

 この工事完了で「ふきこもり」と呼ばれる客(小宴)を開いています。新築でも屋根が葺き終わると「ふきこもり」を行っています。関東地方では家の小屋組ができたとき棟上と呼ぶ小宴を行います。「ふきこもり」は屋根葺き工事などで手伝って頂いた方などへの御礼もあるのでしょう。また、「ふきこもり」で近所方がお祝いにも駆けつけたようです。

 取除いた瓦は打音などで再使用の可否を選り分けます。
 瓦には軒先瓦だけでなく、平瓦にも下の写真のような印が刻印されています。
その数は50を越えるとのことです。以下の印は他の屋根で見たことがありません。
 
 
 他県から来られている職人さんが言うには印が刻印された瓦を見たことがない。
そしてその種類も多いと言われてます。
 瓦への刻印が瓦を焼いた職人の名でなく、瓦屋(製造場所)の屋号か。
 需要からもそれ程瓦屋は大きくないとすれば、個人名でも屋号でも同一となるでしょう。
 
瓦の刻印(屋号)に興味を持ち、古い瓦を見上げていると屋号は色々あります。
 多くはそれぞれの地区名を頭に付けているようです。山北が付いた山北喜、山北伊、山北の隣(野市中学校付近)の山下地区「山x」、少し離れ布師田「布x」と刻まれていますので、瓦屋は地区毎にあったのでしょう。
 東宿毛の町の瓦にも屋号が刻まれていました。下の写真ですが、貞宮とあります。


 屋号を瓦に刻む様式(→文化)はどこまで広がるか面白く思います。
 昭和の初期には山北地区にも瓦屋が2軒ほど残っていたようです。
 物流の発展、瓦焼きの機械化などで地区毎にあった瓦屋はなくなったのでしょう。
 専業の瓦屋でなく、半農半瓦の人もいたです。
 それにしても山北地区を含め、近辺には萱葺きの家は少ない。
 昭和初期でも山北地区に萱葺き2、3軒しかなかったようです。
 
 瓦の下は土(一部漆喰を混ぜた)が出てきました。
 
       2013年1月10日 撮影

 さらに瓦土を取除くと痛んだ野地板が出て来ました。
 以前、雨漏りがあり内部から補修したことがありました。その箇所の板は腐り穴になっていました。
 
       2013年1月12日 撮影
 
 瓦下ろしが終り、壁の撤去に入ります。
 表面の漆喰を取り外し荒壁の土を出します。漆喰壁まで5層構造になっています。
 
       2013年1月15日 撮影

 層毎に壁は剥がれ、割れ目の筋でも塗った時期が区別できます。
 最下層の土は、コテで塗るのでなく手で押し付けているようです。
 その方が凸凹が出来、次の層の乗りが良いとのことです。上写真の上の方に丸竹が見えます。
 これが竹小舞で、荒壁土が厚いので割り竹でなくこのような太い丸竹を小舞とするようです。
 この小舞を大枠取りで取り出しました。
 
       2013年2月28日 撮影

 番屋で見た割竹の竹小舞と違い大きく太い、竹大舞と呼んでもいいようである。
 建築用語でxx小舞と言う呼び名が使われる。小舞で意味があるのでしょう。

 一見、竹を結んでいる藁縄が雑然と垂下げられているように見えますが、ここにも昔の知恵があります。

       2013年2月26日 撮影 
 土壁と絡みさせより強固にするため、結んだ先をほぐしています。
 この竹小舞が番屋と間渡し(竹小舞の基準竹)が違い、がっちりと柱と組合せられていました。
 
 
       2013年2月26日 撮影 
 柱に穴が開け丸竹が差し込んでいます。これが蔵の間渡しで、柱を立て穴に竹を曲げ押し込むことは出来ません。
 柱を立てるとき竹を組み込み一緒に立てる必要があります。
 柱を立てた後に間渡しを忘れ、穴を作り直した痕跡(上写真右側)がありました。

 荒壁外し前、屋根の野地板、それを乗せている垂木も取除くと漆喰の箱が出てきます。
 野地板と漆喰屋根の間に小動物が住んでいた形跡が残っていました。
 どのように上がって、どこに隙間があったのでしょうか。
 
       2013年2月2日 撮影
 蔵は漆喰の箱とすることで、防火、防犯対策としています。
 道具蔵は地震の影響などで漆喰に割れができ、瓦に隙間できていました。そこから水が浸み込み穴が開き、防火対策にはなっていませんでした。
 壁は漆喰から土壁4層を順次崩します。
 漆喰を崩すと、以前の道具蔵には外部的に見えなかった水切り瓦が周囲に巡らされていることが判明しました。

 土壁からは漆喰の欠片、葉、草履、陶磁器の欠片などが混ざっていました。この様なものもありました。

       2013年3月5日撮影
 土を捏ねていて脱げたのか、藁としてなぎれたのか?

 漆喰の欠片から、この蔵が言伝えてられていたように移築したことが推測されます。
 移築元から再利用為土を持ち込んだときに、選別ミスで残った漆喰と思われます。
 今回も土は再利用するためのため蓄積し熟成しています。
 小舞を結んでいた藁も解れたものは土熟成の為使われます。
 
          2013年2月26日 撮影

 屋根も壁も取除き、屋根裏板(化粧板)も取除くと柱・梁・床板だけの蔵が出てきます。
 
       2013年3月6日 撮影
 この柱などの痕跡から上写真手前側に窓があった形跡があり、移築の蔵であることが裏付けされました。
 土壁を剥ぐと、柱、梁など木へのシロアリの被害が重大な状況であることが分かります。
 水捌け問題から礎石をコンクリートで覆ったことでシロアリの被害を大きくしたようです。
 再利用不可の材も多いです。再建では水捌け、風通しなど湿気対策が重要なことを再認識しました。
 床板を取除くと、一回の床根太(床板を乗せる横木)が約15cm間隔で置かれています。
 よほど重たい物を置いていたのでしょうか。
 これに比べ重い俵を乗せたと思っていた米蔵の床根太の大雑把には驚きます。米蔵参照。
 
       2013年3月21日 撮影
 それと下の写真の奥に礎石らしき未使用の石が無造作に置かれています。用途は現在不明です。
 
       2013年3月27日 撮影
 2016年1月7日 追加
 床根太、及び不明の礎石について
 本家の蔵に泥棒が入ったのでその防止策(推測)
 ○ 床根太 根太を狭くして床下からの侵入防止。
 ○ 不要な礎石は床の隙間から床下への侵入防止

 蔵にあった戸、窓、据付の押入れは取り外され、資材用の仮小屋に置かれています。
 戸及び窓には樫の戸車が付けられていました。
 
       2013年3月26日 撮影

 この窓の外側に金網が張られていました。
 さらにその外に開きの板戸がありました。
 
       2013年3月22日 撮影
 金網は近世になって作り込んだと思っていたのですが、金網を留めている釘が和釘(四角釘)であり、明治以前に作られた金網でした。インターネットで調べると明治以前に細金を製造技術はあったようです。
 城下から遠い山北で細金から金網を製造したのか、そうなければ金網をどのように入手したのか。不思議な思いがします。
 この窓の枠は土壁、その上漆喰で覆い防災防犯対策をしています。
 この土壁が塗られ場所に座敷部の蟻壁長押と同じ細工がなされています。
 

 柱、棟、梁など軸部を全て解体し資材を退避し道具蔵は更地なりました。

            2013年4月15日 撮影
 上写真奥が資材退避場所で 手前の更地は現在シートで覆っています。
 



                      ● 道具蔵修理保存工事状況 先頭

                     
● 修理保存工事状況 先頭

                     ● 安岡の家住宅<重要文化財>先頭


       2013年3月5日撮影